人権週間にちなみ、岩倉市では中学生が一日人権擁護委員として活動をします。
今日は、その委嘱を岩倉市人権擁護委員の宮田様にしていただきました。
また、人権についてのお話をいただきました。
(12月5日 校長講話)
今日は人権について話します。
毎年、12月4日〜10日は「人権週間」です。これにちなんで、岩倉市では、10日に人権講座を行います。その時、生徒会役員の皆さんに一日人権擁護委員として活躍をしてもらいます。そのために今日は、宮田人権擁護委員さんにお越しいただきました。後ほど一日人権擁護委員の任命をしていただきます。よろしくお願いします。
また、今日の午後からは「大地の花咲き」という映画を見ます。生きることの大切さを訴えた映画です。映画を見て、人権についてしっかり考えてみましょう。
さて、校長先生からは、「言葉の大切さ」についてお話をします。
そのために、「全国中学生人権作文コンテスト」入賞作品の一部を紹介します。中学校2年生の男の子が書いた、「立ち止まる」という作品です。
この少年は、5歳のときに目の病気で、メガネをかけることになります。小学校に入り、メガネをかけていることで、周りから、からかわれ、冷やかされるようになります。そして、とうとう学校に行くことが怖くなり、学校を休んでしまいます。
そんな少年が、中学生になって、その頃のことを思って書いた作文です。
題名は、「立ち止まる」です。「立ち止まる」とはどういうことなのか考えて聞いてください。
◆◆◆以下抜粋◆◆◆
「立ち止まる」
その日,登校してこない僕を心配して,担任の先生が家に来てインターホンを鳴らし続けた。2月の寒い日で,風が冷たく,雨も降っていた。それでも先生は何どもインターホンを鳴らし続けた。連絡を受けた母も会社を早退して帰って来て,先生と一緒に家の扉を開けた。僕をみつけた先生は「よかった。家にいてくれて。事故にあったか,悪い人に連れていかれたかと思ったよ。」と優しく笑った。先生は一言も僕を責めたりしなかった。
あくる日,先生から学校に行かなかった理由を尋ねられ,僕は本当のことを話した。毎日友達からからかわれるのが辛かったこと。中学年の男子生徒が怖かったこと。話し終えると,あの,せり上げていた鉛の塊が,僕の口から,転がり落ちた気がした。
「僕が変だから,みんなが意地悪をするのですよね」
すると先生は,頬を紅潮させて言った。
「違うよ。君は何も悪くない。人と違うところがあっても何も悪くない。からかう友達がいけないんだよ。」
先生の言葉を聞いた時,何故だか前がくもって見えなくなった。レンズには僕の涙がいくつも付いていた。
今の僕なら何と呼ばれても,聞き流せるし,相手を笑わせることもできる。
時々,「そんなことくらいで傷ついてどうするの。もっと辛いことをされたり,言われたりする人がこの世には大勢いるんだよ」と言う人がいるが,僕は違うと思う。人の心の痛みは他人と比べることが出来ない絶対的なものだ。その人が辛いと感じるなら,心のバケツが一杯になってしまっているのだから,より大きなバケツになるには,その人のこれからの経験が心の筋肉を強くするまで,時間がかかるものだと思う。
言葉は,時にその人の心を深く傷つける。
特に人と違う点や,人とは劣っていると思っていることを,何度も繰り返し集団の中で言われているうちに,傷は深く,深くなる。言葉とは,他人にものを伝える上で大切な手段にも関わらず,何も考えずに発した一言で相手の胸の中に冷たく重い鉛の塊をも作り出してしまうほど,猛毒になり得るのだ。
一方で,言葉は他人を救う暖かい毛布にもなる。
あの時先生が「君は何も悪くない」と言ってくれた言葉は,僕の胸に詰まった重く冷たい塊を少しずつ溶かしてくれた。
14歳になって僕は思う。人と話す時,一度「立ち止まろう」と。これから僕が相手に言う言葉は毒になってしまわないか,それともほんの少しでも相手の気持ちを和らげたり,楽しくさせたりできるだろうか。毛布のような言葉で,相手の冷え切った感情を温めてあげることができるだろうか。
僕は立ち止まって,一呼吸おき,今日も友人や家族と言葉を通して,強くて優しい結びつきを築けていけたらと思う。
ほんの少し立ち止まり、相手がどう受け取るのか考え、言葉を使えたら、
ほんの少し立ち止まり、相手のことを考え、温かい言葉をつかえたなら、
きっと、今よりももっと気持ちよく、毎日が過ごせると思います。
◆◆◆抜粋終わり◆◆◆
人権週間に、改めて自分が使っている「言葉」を考えてみましょう。