本日3学期始業式が行われました。校長先生から先日テレビ放映された映画を通して学校で勉強する意味についてのお話がありました。その後、表彰伝達に引き続きブラスバンド部の演奏がありました。最後に生徒指導の高岡先生より3学期に向けてのお話がありました。まとめの3学期です。1・2年生は新学年、3年生は4月からの新しい生活に向けてがんばっていきましょう。
2015年を迎えました。一年の計は元旦にありと言います。皆さんの中には、今年こそはと新たに目標を立てた人も多いのではないでしょうか。
さて、年の初めに、あらためて「学校に通って勉強する」ことの意味を考えてみたいと思います。
『世界の果ての通学路』という映画があります。昨年の春に大きな反響を呼び、つい先日、1月3日にテレビでは初めて、NHKで放送されました。
ケニア、アルゼンチン、モロッコ、インド、4つの国を舞台に、過酷な通学路を通う子どもたちを取材した映画です。
ケニアでは、野生生物が暮らすサバンナを横切る通学路を、11歳の少年が幼い妹と一緒に、片道15キロを2時間かけて通います。途中、ゾウに襲われて命を落とす危険もあります。ゾウの群れを避けながら、慎重に走り抜けなければいけません。授業に間に合うために、毎朝5時半には家を出ます。
アルゼンチンでは、片道18キロの通学路を、11歳の少年が妹といっしょに馬に乗り、1時間30分かけて登校します。途中、馬でも滑り落ちそうな山の急斜面を命懸けで進みます。
モロッコの少女は、月曜日から金曜日を寮で過ごし、週末は家に帰ります。そして、月曜日の朝には、また学校に行くため、標高3000メートルを超えるアトラス山脈の山道を、4時間もかけて歩きます。
インド南部の漁村に暮らすサミュエルという少年は、足が不自由で歩けません。2人の弟が、歩けない兄のためにボロボロの車いすを押しながら1時間15分をかけて3人で通学します。砂浜やぬかるんだ田んぼを車いすで進むのには、かなりの力が要ります。途中、車いすが壊れて修理しなければならないこともあります。
こんな過酷な環境なのに、彼らは文句も言わず、学校に通います。なぜ、彼らは、動物に襲われる危険を冒してまで、学校へ通うのでしょうか。なぜ、断崖絶壁から滑り落ちる危険を冒してまで、学校へ通うのでしょうか。
映画の中で彼らは「医者になりたい」「パイロットになりたい」「学校に通って人生を切り開くんだ」と口々に言っています。学校は、彼らにとって、「自分たちの将来の夢へとつながる扉」なのです。
学校が「自分たちの将来の夢へとつながる扉」であることは、日本でも同じです。
昔、ある村で、数学が非常に好きで独りで勉強している青年がいました。彼は、家庭が貧しかったため、小学校を出た後、農業に従事しながら、毎日一生懸命数学の難しい問題を解いていました。10年後、青年は「数学の新しい公式を発見しました」と顔を輝かせて、村の中学の先生のところへ駆け込みました。どんなすごい公式かと思って見せてもらったところ、それは二次方程式の「解の公式」だったのです。彼が10年かけて自分の頭で考え出した公式は、はるか昔に発見されていた公式だったのです。もし、彼が貧しくなくて中学校に進んでいれば、「解の公式」は数学の授業で必ず教わっていたはずです。自力で「解の公式」を導き出す力がある彼ならば、もしかしたらノーベル賞級の発見ができていたかもしれません。
このように世の中を一歩前進させるためには、既に明らかになっている知識を学ぶことが必要です。学校は、それを最も効率よく学べる場なのです。
中学生ともなれば、何かをする・しないは、常に自分の選択です。卒業後の進路も、自分で決めなくてはいけません。さまざまな勉強の中から、今の自分の現状を把握し、自分に適した道を見極めていくことが大切です。進路選択に限らず、人が生きていく上では、常にそういった選択が求められるのです。
さあ、新しい環境へ、新しい学年へとはばたいていく3学期となりました。これからをどう過ごしていくのか、あなたはどんな道を選択しますか?
「コスモス、あいさつ、ボランティア」。一人一人が輝く自分「コスモス」を目指して、それを実現できる3学期にしましょう。