本日をもって、平成27年度の全ての教育課程を終えます。
修了式では、代表生徒に修了書を授与しました。
校長先生の式辞では、ドラマの主人公となっている広岡浅子さんを例に、「学問をすることの大切さ」を話されました。
生徒は、本年度1年間継続して取り組んだ「聴く」の姿を見事に見せてくれました。
(1・2年 修了式式辞)
ただ今、2年生259名、1年生258名の代表の人に修了証を渡しました。これは、皆さんが1年間しっかり勉強し、2年生、1年生の全課程を修了したことを証明するものです。
1年生は、「人やものとの出会いを大切にし、挑戦や努力を前向きにとらえ、夢を追い求めることができる岩中生」という学年目標の元、岩倉中学校の中堅学年になるのにふさわしい成長を遂げたと思います。4月から迎える後輩の、よきお手本となることを確信しています。
2年生は、1年生のときに心に灯した、感謝の灯、勉強の灯、運動の灯、掃除の灯、おもいやりの灯をさらに大きく育て、「学ぶ」「唱う」「走る」「磨く」という活動に邁進してきました。既に後半からは、学校をリードする立場を受け継いでいます。岩倉中学校の顔として、これまでの伝統をさらに高め、ますます素晴らしい学校をつくってくれることと期待しています。
さて、NHKの連続テレビ小説「あさが来た」という番組が高い人気を誇っています。人気の秘密はいろいろあると思いますが、明治維新という激動の時代を生き抜いた大阪商人の姿が、実話に基づいて描かれていることが大きな理由ではないかと思います。ヒロインである「白岡あさ」のモデルとなった人物は「広岡浅子」さんで、当時両替商であった「加島屋(かじまや)」に嫁ぎました。ドラマで加野屋として描かれている「加島屋」は、現在の大同生命という会社です。創業は、江戸時代初期の1625年と言いますから、実に390年の歴史をもつ会社です。
実は、一つの会社が百年間生き残る確率は、千社のうち2・3社というのが定説だそうです。生存率0.2、3%なのですから、これは驚異的なことです。
では、ドラマの中の加野屋である加島屋はどのようにして生き残ったのでしょうか。もちろん、ヒロインの「あさ」が、男勝りの交渉術で炭鉱を営んだり、銀行を開設したりしたことが大きいと思います。この行動は、番組の中では、群れの中で最初に海に飛び込む勇敢なペンギンという意味で「ファーストペンギン」と呼ばれて讃えられています。
そして、もう一つ加野屋が生き残った理由として「信用」というキーワードが出てきます。加野屋は、財政が苦しくなっても、資金が底を尽きて借金をするまでになっても、顧客からの現金化の要求に対して必ず応えています。こうした、信用を裏切らない誠実な姿勢こそが、加野屋を生き残らせたのではないでしょうか。
日本には200年以上続いている会社が3000社あります。世界的に見ても、韓国は0、中国は9社と言いますから、日本には何百年も続く老舗が圧倒的に多いのです。これらの老舗に共通することは、情熱や謙虚さ・誠実さだそうです。
1959年に京セラという会社を立ち上げ、84年にKDDIを創設し、2010年に、日本航空の再建を果たした稲盛和夫さんは、優れた人間性こそが日本の宝だと言っています。そして、それを養うのは、学問だそうです。
幕末の志士である、真木和泉(まき いずみ)という人は、こんな言葉を述べています。「人と生まれては、高きも賤(いや)しきも、せねばならぬものは学問なり。学問せねば、わが身に生まれつきたる善あることもえしらず、まして他の人の徳あるもなきも辨(わきま)へず。」と言っています。「人間は、身分が高い低いにかかわらず学問をしなければならない。学問をしなければ、自分の良さも分からず、まして他人の良さも理解できない」という意味です。これでは、謙虚さや誠実さ、人間性は身に付きませんね。
「広岡浅子」さんは、当時認められていなかった女子の教育も必要であると主張して、日本初の女子大学校を作りました。日本を支えてきたリーダーたちは、皆、学問をすることの大切さを痛切に感じてきたのです。
さて、明日から春休みになります。自由な時間が増えて、ともすると気の緩みがちな時期ですが、そんなときにこそ自分を磨くために時間を使いたいですね。常が大事です。時間を上手に使いましょう。
始業式、また、ワンランクアップした皆さんとの出会いを楽しみにして、式辞といたします。
平成28年3月24日
岩倉中学校長 野木森 広