表彰伝達に引き続き、3学年そろって行う本年度最後の朝礼が行われました。校長先生から「格好いいとか悪いとかでなく」という中学生が書いた交通安全の作文を通して交通事故の恐ろしさとヘルメットの重要性についてのお話がありました。自転車に乗るときにヘルメットの着用は当たり前のことです。いろいろな当たり前のことの意味を十分考え、今まで3年生が築き上げてきた岩中の当たり前のバトンをしっかり引き継いでほしいというお話もありました。生徒会執行部よりスマイルキャンペーンの結果発表・生活委員より週訓「卒業生を送る会を成功させよう」の連絡がありました。春ももうすぐそこまで来ています。この1年のまとめをして新学期・4月からの新しい生活に向けてがんばっていきましょう。
(2月22日 校長講話)
今日は、ある中学生が書いた交通安全に関する作文を紹介します。
題は、「かっこいいとか、悪いとかじゃなく」です。
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かっこいいとか、悪いとかじゃなく
「ヘルメットはさあ、とりあえず首にひっかけておいて、先生とかに会ったらさっとかぶればいいんだよ」と友達に言われた。うん、そういう気持ちも分かる。でもやっぱり、ぼくにとってヘルメットは正しくかぶるべきものだ。それは、ぼくが身をもって経験したからだ。
小5の時、夕方にお遣いを頼まれたぼくは、いらいらしていた。めんどうくさくてたまらなかった。たった数分離れた祖母宅に行くだけなのに、いやでいやでしょうがなかったぼくは自転車で行くことにした。すごいスピードで祖母宅に行き、おにぎりをもらって、またすごいスピードで帰った。下り坂で曲がり角のところも加速したスピードのままつっこんだ。そして直進してきた車にぶつかった。自分からぶつかっていったようなそんな感じだった。
あとは何が何だか分からない。相手の人や警察の人に大丈夫かと聞かれ、ぼくはどこも痛くないと答えた。本当にどこも痛くなかった。両親もかけつけたが、ぼくは、道路に散らばったご飯が気になって「おにぎりが…、おにぎりが…。」と必死になってかき集めていた。
その後母に連れられて病院へ行き、家に着いたのは9時半過ぎだった。祖母は、ぼくの家で待っていてくれた。悪いのはぼくなのに、「おばあちゃんがお遣いを頼んだばっかりに…。ごめんね。」と何度も謝られた。
母が小学校に連絡を入れたら、担任の先生がわざわざぼくに会いに来てくれた。遅いし、無事なのでと電話でも伝えたが、それでも「あなたの元気な顔を一目見たいので…。」と10時頃家にきてくださった。
こうして、ぼくにとってこれまでの人生で一番長かった日が終わった。
翌日、自分の身体を見てみたら、太ももの内出血がすごかった。痛みもあった。かけていた眼鏡は、こわれて使えなくなっていた。自転車も大きく曲がって廃棄しなければならないほどだった。
ぼくは、一人になって、昨日のことを改めて思い返していた。事故って一瞬の出来事だけど、車のスピードやぼくの飛び出すタイミング…いろいろな要素がからんでいる。そのときに何かがちょっとでも違っていたら、ぼくは今、生きていないかも…そう思った。
はっとした。腹を立ててお遣いに行ったとき、自分では意識していなかったけれど、ヘルメットはかぶって出かけたんだ。もちろん、あごひももしっかりと締めて。「ぼくのヘルメットは?」と母に聞くと、ヘルメットをぼくに手渡してくれた。ヘルメットは割れていた。
ぼくがこれだけの軽症ですんだのは、ヘルメットに守られたからだ。もしかぶっていなかったら…と考えると、さっきよりもまして、今、生きていないことの可能性の大きさに気づかされた。
ヘルメットをかぶるなんてかっこ悪いという人もいる。でも、ぼくはヘルメットに救われた。だから、ヘルメットは絶対にかぶる。命を落とすことも悲しいし、周りの人をこんなにも悲しませるということも知ったから。友達にもこのことを強く伝えていきたい。
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どうですか。ヘルメットをかぶるのは当たり前のことです。そして、どんな当たり前のことにも、それぞれに意味があります。その意味を考えないと、当たり前のことを馬鹿にしてしまうことがあるかもしれませんね。
さて、岩中の当たり前をレベルアップしてくれた3年生が、まもなく卒業します。3年生が安心して卒業できるためにも、当たり前のバトンをしっかりと受け継いでいきたいですね。木曜日の送る会と、来週の卒業式は、当たり前を引き継ぐ、心温まる会にしましょう。