送辞、答辞ともに、心のこもったものでした。
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第四十六回卒業式
式 辞
今年も春が巡ってきました。
本校第四十六回卒業生として巣立ちを迎えられた一〇八名の皆さん、卒業おめでとうございます。
保護者の皆様方、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。こうして卒業の日を迎えられ、立派に成長した我が子の姿を目にして、感激も一入のことと拝察致します。本校の教育に、これまで多大なるご支援とご協力を賜りましたことに対し、改めて心より感謝申し上げます。
また、本校の卒業式にご臨席を賜りました 岩倉市副市長 柴田義晴様をはじめ、ご来賓の皆様には、高い席からではございますが、厚く御礼申し上げます。
卒業生の皆さん、皆さんの中学校生活は、コロナウイルス感染症拡大防止のための一斉休校で幕を明けました。友達と顔を合わせることのできない日々を小学校六年生の二月末からおよそ三ヶ月間過ごした後、「恐る恐る」という感じで学校生活が始まりました。当時の様子を、南中ホームページでたどってみると、今でも切ない思いが胸を占めます。その後も、マスク越しの学校生活を強いられ、大切な時間を友達の顔も知らずに過ごさせてしまったことに申し訳なさを感じています。行事等でもたくさんの制約を受けながら、中学校生活を送らざるを得ませんでした。
それでも、皆さんは数々の行事を、工夫を凝らしながら楽しく成功させてきました。特に、二年間中断していたため、皆さんにとっては最初で最後の取組となった「南中ふれ愛フェスティバル」は、未経験とは思えない充実した活動ぶりに驚かされました。南中三大行事を見事完全復活させてくれたことを、本当にありがたく思っています。あのときの三年生一人一人の、心からの笑顔が、深く心に残っています。
行事への取組だけでなく、日頃の授業の中でも皆さんは豊かな人間関係を育んできました。
示された課題に向かって頭を寄せ合い、考えを交流しながら学びを深める南中の「知をひらく」授業。南中の伝統とも言えるこの授業スタイルでは、グループ内のやりとりは以前から穏やかになされていました。しかし、コロナ禍でのマスク越しの会話は、元々の声が小さいだけに、聞き取りにくさを増大させていたはずです。マスクでさらに小さくなった友達の声を、それでも皆さんは、毎時間お互いに丁寧に聴き合ってきました。授業中の教室をよく訪問しましたが、どのグループでも微笑みながら和やかに会話が進んでいるのに、少し距離をとってその様子をうかがう私には、その内容はほとんど聞き取ることができませんでした。音量を下げた互いの声を、耳を澄まして聴き合い、静かな会話を重ねることで、皆さんは学びを深めてきたのです。
作家小川洋子さんの小説「琥珀のまたたき」の冒頭で、主人公がこのように紹介されます。
彼の声はとても小さい。びっくりしたり大笑いしたり怒ったりする時でさえ、ほとんどささやくような声しか出さない。そんな彼の話し方が私は好きだ。
この小説では、幼い頃庭付きの古い大きな家に母と共に移り住んだ三人の子どもたちが、ある思い込みから、母に敷地から出ることを禁じられ、長い年月を、外界から隔絶されて過ごす様子が淡々と描かれます。自分たちの境遇を愁うことなく、家に所蔵されていたたくさんの図鑑と、あまり音の出なくなったピアノを使って、工夫しながら生活を楽しんでいく三人には、次第に大きな声が必要なくなっていきます。他の人がいても聞き取りようのない音量で三人の会話はなされるようになりました。先ほど紹介した箇所は、後年ある施設で他の人たちと暮らすようになった、三人のうちの一人の様子を描いた部分です。
子どもたちなりの満たされた生活にも終わりの時が来ます。一番下の弟が、迷い込んだ猫を追って、うっかり外に出てしまい、通りかかった女性に発見されます。
下の弟を発見した女性が、その時の様子をこう語ります。
坊やの声を聞き取るためにはかなりの集中力を要しました。ちょっと風が吹いたり、小鳥が飛び立ったりするだけで、かき消されてしまうのです。ほとんど吐息と変わりがありません。
あんな喋り方をする人間には、かつて一度も会ったことがありません。林のどこかで妖精が、秘密の交信を交わしているかのようでした。そう、彼は妖精のように話すのです。
歌人の大森静佳さんは、この小説の書評を、
誰かの声に耳をかたむけることは、それ自体がひとつの祈りだと思う。
と書き出します。
声の大きな人や、勇ましい言葉を並べ立てる人の意見が、あたかも「真実」のように世の中を支配し、人々を分断し、人々が争いに巻き込まれる様を、私たちは現実の世界の中で見せつけられています。差別的な発言が飛び交うネット空間。傲慢な言動を繰り返す指導者の出現。そして戦争。
どうしたらこの流れは変えられるのか。
大きな声や勇ましい言葉に煽られたり、惑わされたりすることのないように・・・。
私は「祈り」の姿勢を育むことが鍵になると思っています。小さな声に耳を傾け、そこに秘められた「真実」を丁寧に聴き取っていく姿勢です。
それは、南中での三年間、コロナ禍の不自由さの中で、しかし不自由だったからこそ皆さんに備わった、友達の小さな声を聴き取る姿勢と重なります。
先日の生徒総会で、懸案となっていた頭髪のきまりに関しての意見交換を行った際も、発言者の一人一人が丁寧に自分の考えを説明し、参加者みんなが、その一つ一つにじっくりと耳を傾けました。自説を感情的に訴えたり、人の意見を茶化したりすることなく話し合いを進め、その結果建設的な新しい意見をも引き出すことができました。静かに語り、丁寧にそれを受け止める姿勢が、新しい時代を拓く力となることを、皆さんは証明したのです。
そんな皆さんの旅立ちのときです。旅立ちに併せるかのように、マスクを取る日もやってきます。互いの気持ちや考えを存分に伝え合える日がやってきます。自分たちの歩みに誇りをもち、南中で育んだ「聴き取る」力を携えて、自信をもって新しい時代に踏み出していってください。
皆さんの健闘を心から願い、その人生に幸多からんことを祈って式辞といたします。
令和五年三月七日
岩倉市立南部中学校長
有 尾 幸 市