南風あったかげん記−811−
- 公開日
- 2009/03/14
- 更新日
- 2009/03/14
南中校長室の窓
☆★☆ 幕末の尾張藩〜そのとき岩倉では ☆★☆
今日は岩倉市郷土研究会 公開講演会へ行ってきました。会場の図書館会議室は満員。講師は、私の大先輩、櫻井芳昭先生です。たとえば次のような内容です。
☆ 御三家の尾張藩が倒幕側についたのはなぜか。
校長日記の706号でも紹介したものですが、櫻井先生は、尾張藩の役割をさらに積極的に評価しています。黒子役に徹して朝廷と幕府の間を調整し、戦乱を最小限にしたのは尾張藩の成果。一定の評価をして良いのでは。
☆ 和宮降嫁と尾張藩
和宮降嫁は、東海道を通らずに中山道を選択した。そのコースで尾張領内は6泊7日する。その宿は6カ所。その間の接待と沿道警備を尾張藩が命じられた。しかし、その数が半端ではない。京方が1万人、出迎える江戸方が1万5千人。6つの宿で計15万人分の夜具や食器類を尾張全域から集めなければならない。実際に岩倉では、大地村(当時102戸)から、布団・枕36組、腕80人前、膳24人前などを、木曽まで持って行き、さらに受け取りに行くよう命じられている。岩倉村では500名ほど動員された。一軒に一人の割だ。どの村も大騒ぎになった。
☆ 長州征伐
長州征伐の総督には、尾張14代藩主の慶勝が就いた。その人足には、岩倉村にも74人が割り当てられた。
このほかにも、黒船対策にも尾張藩が当たっています。櫻井先生はさすがに社会科の先生なので、わかりやすく、資料に基づいて説明していただきました。あまり語られることのない、こうした歴史の裏側にある一般民衆の生活を垣間見ることができました。
また、こうした会があれば参加したいと思いました。
写真上は「木曽を行く和宮の御輿」(「日本五街道」より)
写真下は櫻井先生の著書『幕末の尾張藩』、会場の様子、そして、図書館にいた南中生です。
