卒業式を挙行しました。
コロナウイルス対策で、卒業生・保護者・職員のみの参加となりましたが、穏やかで心のこもった式になりました。
卒業式の校長式辞を「折りたたみ記事」に掲載します。ぜひご覧ください。
第四十三回卒業式
式 辞
コロナウイルス感染症拡大の防止に向け、様々な対応がなされる中、令和初となる卒業式は規模を縮小して行わざるを得なくなったことを大変残念に思いますし、卒業生の皆さん、保護者の皆様には大変申し訳なく思っています。
とはいえ、春は巡ってきています。本校第四十三回卒業生として巣立ちを迎えられた一二五名の皆さん、卒業おめでとうございます。
保護者の皆様方、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。こうして卒業の日を迎えられ、立派に成長した我が子の姿を目にして、感激も一入のことと拝察致します。本校の教育に、これまで多大なるご支援とご協力をいただきましたことに対して、改めて心より感謝申し上げます。
さて卒業生の皆さん、この南部中学校は皆さんにとってどのような場所だったでしょうか。
卒業を間近に控えた三年生の皆さんと会食の機会を作ってもらった際、「南中の自慢」を尋ねてみると、何人かの人がこんな答えをしてくれました。・・・南中はたくさんの国の人が仲良く一緒に生活していることが自慢です。・・・日本語を使って、日本の習慣や決まりの中で生活してきたわけですから、他の国の人たちには大変な不自由をかけてきたとは思いますが、この南部中学校で、たくさんの国の人たちが仲良く生活してきたのは、ほとんどの人たちが頷けることだと思います。
その自慢を生み出した秘訣は何か。
思いつくのは、「南中生一人一人がお互いの違いを認め合えている」ということ。では、違いを認めるというのはどういうことなのか。・・・一人一人が自由を保障し合っているということ?・・・夏に開催された「あいちトリエンナーレ」で「表現の自由」の問題が話題になって以来、「自由」という言葉に少なからぬこだわりを抱えてきた私には、「違いを認め合うこと」と「自由を保障し合うこと」は深く結びついていて、それは人々が豊かに暮らしていくために欠かせないことに思えているのです。
詩人 谷川俊太郎が、世界人権宣言を「分かり易く」日本語に訳したアニメ絵本があります。その中で、第一条はこう表されます。「わたしたちはみな、生まれながらにして自由です。一人一人がかけがえのない人間であり、その値打ちも同じです」。そして一九条では「わたしたちは自由に意見を言う権利があります。誰もその邪魔をすることはできません。」と記されます。
「知をひらく」授業の中で、皆さんは頭を寄せて意見を聞き合い、自分の考えを深めてきました。先日の生徒総会では、自分たちの防寒具について自由に意見を出し合う中で、自分たちの生活をよりよくするという同じ目的でも、様々な立場の考え方があることに気付きました。南中の風土の中で、皆さんは互いの自由を邪魔することなく関わり合い、人権感覚を自然にはぐくんできたのかもしれません。だからこそたくさんの国の人が仲良く暮らす南部中学校が実現できているのだと思います。
そこで一つ、確認したいことがあります。互いの自由を邪魔しないということは・・・、自分とは対立する考えがあることも受け入れていくということです。時には自分にとって都合の悪い出来事や行いとも向き合っていかなければなりません。自由を保障し合うがゆえに生まれる不自由さがあり、その不自由さこそが人と人とのぶつかり合いを和らげる緩衝材になるのです。
先に紹介した谷川俊太郎訳の「世界人権宣言」第一条は、「一人一人がかけがえのない人間であり、その値打ちも同じです。」の後、こんな一文で結ばれます。
「だからたがいによく考え、助け合わねばなりません」
自分とは違う考えと出会ったとき、よく考え、助け合っていくこと、そして自分にとって不都合な事柄に出会っても、逃げたりごまかしたりせずにそれと向き合っていくこと。そうすることで世の中は、一人一人が尊重され、つながり合い、誰もが納得のいく世の中へと近づいていくはずです。
皆さんが進んでいく予測不能と言われる時代が、そんな豊かな時代となることを願ってやみません。
南中での三年間でじっくりと絆を深め、関わり合いの中で自分を豊かに成長させ、生活ぶりやリーダーシップ、心打つ歌声でこの学校に大きな足跡を残した皆さん。胸を張り、自信を持って、新しい時代に踏み出してください。前途は洋々と広がっています
皆さんの健闘を心から願い、その人生に幸多からんことを祈って式辞といたします。
令和二年三月三日
岩倉市立南部中学校長
有 尾 幸 市